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声優の歴史 ラジオドラマ時代1925年、NHKの前身である社団法人東京放送局がラジオ放送を開始。同年に公募されたラジオドラマ研究生12名が、声だけで演技を行う専門の俳優として、日本の声優第1号とみなされている。この当時は新聞では「ラジオ役者」と呼称していた。時代が下り、1941年、NHKはラジオドラマ専門に俳優を養成する「東京中央放送局専属劇団俳優養成所」の研究生を公募。翌、1942年に東京放送劇団の1期生がデビューを果たし、これが声優第2号とみなされ、かつ「声優」という言葉が使われたのはこの頃からである。「声優」の呼称は、読売新聞の芸能記者だった小林徳三郎によるものという説と、NHKの演芸番組担当プロデューサー大岡龍男が命名したという説がある。声優は当初、ラジオドラマを専門に行う東京放送劇団員やその他の放送局の劇団員を指し、テレビ時代になって吹き替えとアニメを行う役者を指す用語として定着していった。 1951年に民間ラジオ局のラジオ東京(現:TBSラジオ&コミュニケーションズ)が開局、専属の放送劇団(ラジオ東京放送劇団、後のTBS放送劇団)を設立して1957年に放送した連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』は当時の子供たちから絶大な支持を得た。テレビ放送がなく、ラジオがマスメディアで主要な地位を占めていたラジオドラマ時代の声優は決して日陰の存在ではなく、二枚目の主役の声を多く演じた名古屋章には月に何十通ものファンレターが届いたという。ラジオドラマは全盛期を迎え、声優の紹介記事が新聞のラジオ欄に掲載されるようになると、声優へのファンレターと同時に声優に憧れ、声優志願者も急増した。1953年のNHK東京放送劇団の第5期生募集には合格者が10名程度のところへ6000名の応募が殺到したという。この時代を声優の勝田久は第1期声優黄金時代としている。 アニメでは、1933年には日本初のトーキーの短編アニメーション映画『力と女の世の中』が公開。アニメキャラクターに声をあてたのは、喜劇役者の古川ロッパをはじめとする映画俳優達だった。1942年には中国の長編アニメーション映画『西遊記・鉄扇姫の巻(鉄扇公主)』が日本で公開され、活動弁士出身の徳川夢声、山野一郎などが声をあてた。第二次世界大戦後に発足した東映動画により日本でもコンスタントにアニメ映画が製作されるようになると、映画俳優、コメディアン、放送劇団員が使われた。また、洋画の吹き替えはテレビ時代になってから行われるようになった。 第一次声優ブーム民放テレビの草創期には、1961年の五社協定でテレビ局への日本映画の供給停止が決まったことなどによるソフト不足から、海外ドラマや洋画などのいわゆる外画の日本語吹替版が数多く放送された。これを背景として声優人気が高まっていった。当初、NHKは基本的に字幕スーパーで海外作品を放送していたため、日本語吹替版は民放が中心となっていた。以後、海外作品は1960年代前半をピークとして放送された。 ブームの中心人物はアラン・ドロンを持ち役とした野沢那智。映画俳優は五社協定とギャラの問題で吹き替えをしなかったため、テレビでの吹き替えは草創期のテレビ俳優と同じく、ラジオ時代からの放送劇団出身者や新劇の舞台役者に多くを依存した。海外アニメにおいては、落語家や浅草出身のコメディアンなどもキャラクターの声をあてたという例がある。 この時代にはまだ声優という言葉は一般には認知されておらず、別称として、吹き替えを主にしたことから「吹き替えタレント」、声をあてることから「アテ師」というものがあった。吹き替え全盛期に東京俳優生活協同組合(俳協)が誕生。後に俳協から分かれて多くの声優プロダクションが結成された。 テレビの吹替作品第1号はTBSの前身であるKRTテレビが1955年10月9日より放送開始したアメリカのアニメ『スーパーマン』であると言われる。実写では1956年にTBSの前身であるKRTテレビで放送された『カウボーイGメン』と記録されている。これらKRTテレビでの放送はいずれも生放送による吹き替えで、あらかじめ録音したアフレコによる作品第1号は、アニメでは1956年4月8日に日本テレビが、番町スタジオの安井治兵衛に依頼して放送した海外アニメ『テレビ坊やの冒険』。 第二次声優ブーム1970年代中頃からの『宇宙戦艦ヤマト』のヒットによるアニメブームと並行して起こったブーム。そのブームに押される形で声優業と並行した音楽活動も盛んになり、神谷明、古谷徹、古川登志夫などのアニメの美男子キャラクターを持ち役とする人気声優によるバンド『スラップスティック』を結成してライブ活動を行った他、多くの声優がレコードを出すなどした。当時万単位のレコードを売り上げる声優として、潘恵子、戸田恵子、神谷明、水島裕、スラップスティックの名が挙げられている。1979年に放送開始した『アニメトピア』などアニメ声優がパーソナリティを務めるラジオ番組なども誕生。ラジオドラマでは声優人気を背景にした『夜のドラマハウス』があり、アマチュア声優コンテストも開催されていた。 この時代はアニメ雑誌が創刊され始めた時代であり、『アニメージュ』の創刊編集長である尾形英夫は、声優のアイドル化を編集方針の一つとして打ち出した。『アニメージュ』以外の他のアニメ誌も同様に誌面に声優コーナーを設けて、定期的に声優の情報を発信して、アニメファンからは声優が憧れの職業の一つと見られる一因ともなった。人材の供給・育成面では、声優専門プロダクションが分裂することによって次第に数が増え始め、各プロダクションにより声優養成所が設けられた。これらにより、放送劇団出身者や舞台役者などの俳優活動の一環や余技としての声優業ではなく、最初からアニメ声優を目指した声優が登場し始めた(麻上洋子がその第1号の声優と言われている)。このブームは、およそ1980年代前半までとされる。 この頃になって声優という言葉が広く一般に知られるようになる。それまで「声優」という言葉は定着しておらず、「声優をやっている」というと、同じ発音であるスーパーマーケットの西友に勤めていると思われたというエピソードを幾人もの声優が語っている。 第三次声優ブームが始まる少し前1980年代末のテレビアニメ『鎧伝サムライトルーパー』でメインキャラクターの声を担当した5人の男性声優で1989年に結成した声優音楽ユニット『NG5(草尾毅、佐々木望、竹村拓、中村大樹、西村智博(現:西村朋紘))』が人気を集めた。NG5のCDは当時の声優のCDとしてはかなり売れ、またコンサートには女性ファンが殺到した。この人気はアニメ業界だけでなく、ドキュメンタリー番組やニュースで取り上げられるほどであった。声優がマルチ活動をするようになった先駆け的グループであるとも言われている。しかし、その人気はNG5に限定されて、声優界全体のブームと言えるほどの人気とまではいかなかった。 この頃から、声優プロダクションの付属養成所以外に、アニメ系専門学校にも声優養成コースが設けられるようになったという。 第三次声優ブーム1990年代中頃に起こった声優ブームで、1993年頃から始まったと見られる。これまでの第一、二次声優ブームと比較してさらに声優の露出が増加し、アイドル化、タレント化が進行したのが特徴。芸能事務所が声優マネージメントを起業するようになったのもこのブームの頃から。 この頃から、声優の音声入りのテレビゲームやパソコンゲーム、声優がパーソナリティを務めるラジオ番組、声優がメインゲストのアニメやゲームなどのイベントが増えた。 この頃は、声優の歌手活動での活躍が目覚ましく、コンサートを開催したり、発売したCD(特に女性声優)がオリコンランキング上位になることが増えた。 このブームにあやかって、1994年に初の声優専門誌「声優グランプリ」「ボイスアニメージュ」が創刊され、そして1995年には声優専門のテレビ番組「声・遊倶楽部」が誕生した。 以上の点から、「アイドル声優(後述)」と称される声優が増加し、一般の芸能アイドルなみの人気を集めた。 第三次声優ブームの後2000年代に入ると、1990年代中頃に起こった第三次声優ブームほどのブームは影を潜めたものの、新しい人気声優は毎年のように登場した。 インターネットが普及したことにより、声優がパーソナリティを務めるインターネットラジオ番組が増えた。また、声優の事務所に所属してなく、自前でインターネットラジオやラジオドラマ、さらにはアニメを自主制作し、それらに声をあてるネット声優も出現した。いわゆるネットアイドルの声優版と考えてよい。 アニメや外画への声あて・吹き替えなど本格デビュー前の新人声優がインターネットラジオ番組やイベントなどで活躍するケースも増えた。 2006年度から、年1回、優秀な声優に賞を与える『声優アワード』が創設された。 アイドル声優「アイドル声優」(または「声優アイドル」)という俗称が出てきてブームになったのは、声優の仕事が多岐に渡るようになった1990年代中頃からである。声あて・吹き替えだけでなく、自分がパーソナリティを務めるラジオ番組(アニラジ)を持つ、CDの発売、コンサートを開催、声優専門誌のグラビアへの登場、写真集の出版などといった幅広い活動を行い、なおかつ容姿が良い声優のことを俗にアイドル声優と称するようになった。ただしこれはあくまで俗称であるため明確な定義はなく、声優自身が「自分はアイドル声優だ」と自称しているわけでもない。またアイドル的な活動の度合いも、「歌手活動を多く行っている者」「本人名義での歌手活動はほとんど行わないが、アニメ・ゲームの声あてやラジオのパーソナリティを多く行っている者」「主に声優専門誌のグラビアによく登場している者」など様々である。このためアイドル声優とそうでない声優を明確に区別することは難しい。 1990年代中頃の人気声優だった林原めぐみ、三石琴乃、久川綾、國府田マリ子、椎名へきるなどがアイドル声優の先駆け的存在であるとされている。 ちなみに、女性声優(特にアニメ・ゲーム関連で活躍する)がアイドル声優と称される例はよくあるが、男性声優がアイドル声優と称される例は非常に少ない。 現代の声優には声だけでの演技力はもちろんのことだが、その他にも容姿の良さ・歌唱力・独特のキャラクター性を確立することなど、様々な能力が要求されるようになってきている(特にアニメ・ゲーム関連で活動するには)。とりわけアイドル声優の場合は演技力よりも容姿の方を重視されることが多く、また最近は一部の事務所の養成所で「声優はエンタテインメント」と銘打って、アニメ関連メディアへの露出を積極的に行う例も出ている。声優部門がある芸能事務所のラムズの社長が「アイドル声優にとって重要なのはルックス、そしてトークのうまさであり、演技だけうまくてもデビューできない」とインタビューで述べたことがある。 一般の芸能アイドルが20代半ばになると「古株扱いされる」「もうアイドルとは称されにくくなる」などと言われるのに対して、アイドル声優は、本人の人気・担当したキャラクターの人気・演技力・歌唱力などによっては30歳前後でもまだ通用することから、一般の芸能アイドルよりは長くいられるという考え方もあるが、通常の声優養成所出身者の場合、デビューは大半が20代に入ってからになるので、一概に長くいられるとは言えないという反論もある。中には20代半ばからアイドル声優と称されるようになったという者もいる。 歌手(音楽)活動をするアイドル声優の場合、コンサートを開催したり、発売したCDがオリコンランキング上位になることがある。 人材が次々に登場してくる新陳代謝の激しい業界であるため、アイドル声優として一時期こそ絶大的な人気を得たものの、わずかな期間活躍できただけで次の若い世代にポジションを取って代わられ、仕事量が激減したというケースも珍しくない。 当然、いつまでもアイドル声優として活動することはできず、年齢が上がると共にアイドル声優路線からの脱却と、高い演技力・表現力を持つ「実力派声優」へのイメージチェンジが必要になり、声優本人や所属事務所にとっても、こういうイメージチェンジが重要かつ難しい課題になることは少なからず見られる。このイメージチェンジがうまくいった者はその後の声優活動も順調にやれるケースが多いのだが、逆にうまくいかなかった者はアイドル声優としての実績がかえってマイナス材料になって声優としての「商品価値」が急落し、そのことにより声優の仕事が激減してしまうケースが多い。 2000年代に入ると、1990年代中頃に起こったアイドル声優ブームほどのブームは過ぎ去ったものの、新しい(新人)アイドル声優と目される人物は毎年のように登場した。2008年に、アップフロントグループ、角川書店、角川ザテレビジョンの合同企画で「KADOKAWA×UP-FRONT STYLE アイドル☆声優オーディション 2008」という企画が行われ、当時16歳だった三澤紗千香がグランプリを受賞した。 2000年代後半には、アイドル声優と称される者の歌手活動での活躍が目覚ましかったこともあり、「アイドル声優はブームという状態を越え、ひとつのジャンルとして確立されてきていると思う」と指摘されたことがあった。 ベテランの声優や声優ファンの中には、こういったアイドル声優的な活動をする声優のことを良く思わない者もいる。また、声優の中にもアイドル声優と称されるのを嫌がる者もいる。 声優アーティスト前述の「アイドル声優」という呼称が存在する一方、2000年代中頃から歌手活動を中心に活躍する声優のことを「声優アーティスト」と称されることが多くなった。また2000年代後半は、声優アーティストと称される者の歌手活動での活躍が目覚ましかった。 |

