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ようこそ南充へ
2008-05-04 13:48

@空港の挨拶

 大変お待たせいたしました。皆様、ようこそ南充へおいでくださいました。本日は、OO旅行社をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。

 先ず、自己(じこ)紹介をさせていただきます。私はOO旅行社のガイドで、青梓涵と申します。これから二日間(ふつかかん)、皆様のツアーの案内を担当しております。皆様に楽しい中国旅行をしていただけるように精一杯お世話をさせていただきますから、どうぞ、よろしくお願いいたします。

@バスの中

 バスは今、OOホテルへ向かって、約20分で着きます。皆様は長い飛行機の旅で、大変の疲れたと思いますが、これからの予定(よてい)を説明したいので、もうちょっと我慢して、私の話を聞いてください。

 皆様のツアーは、南充で二日間滞在(たいざい)の予定で、西山万卷楼と蘭中古城の見学をはじめ、有名な麻辣火鍋(マーラーひなべ)等四川料理をご満悦(まんえつ)できるように組み込んでいます。

 一日目は、これからホテルに着いてから、チェックインをします。少し長い旅の疲れを取ります。OO時にホテルのロビーで集合(しゅうごう)し、近くの有名なOO火鍋店で、麻辣火鍋を用意しています。食事後、一旦ホテル戻ります。まだ元気の方は、近くの屋台街へ案内します。

 二日目は、市内の西山万卷楼とラン中市のラン中古城を見学する予定で、明日の移動のバスでまだ詳細を紹介します。

 三日目は、午後OO時の飛行機へ次の目的地へ向かいますので、午前のOO時に各自(かくじ)がチェックアウトします。ロビーで集合して、バスで市内の市場に案内して、買い物してから空港へ向かいます。
 
 以上は簡単な説明ですが、これからホテル向かう途中の風景をご覧ください。そして、何かご意見、ご要望がございましたら、できるだけ早くおっしゃってください。

@二日目

 昨晩はよくお休みになりましたか。今日は南充の観光に行くことになっておりますが、お体の具合の悪い方はおられませんか。7時に出発しますから、6時50分にロビーに集まってください。

@観光地

西山万卷楼は陳寿が退官したあと、史学の名作『三国誌』を書いたところ。楼は山に沿って建てられ、楼内に高さ五メートルの陳寿の銅像があり、陳寿『三国誌』を書いた時に使った文物および後人の『三国誌』の研究成果が陳列されている。
 これから30分でゆっくりご覧ください。

@30分後

 これから蘭中古城に移動になっております。

 蘭中は四川省の東北部を流れる嘉陵江の辺に位置し、すでに2300年の歴史がある歴史と文化の古城である。昔から四川北部の重鎮でもあるため、劉備は益州を平定した後、張飛を巴西の太守として任命し、7年間中を守備させた。張飛は死後、蜀漢によって「桓侯」に封じられ、中に葬られた。中の人々は彼の忠誠心と勇敢さを崇めて、彼の墓前に聚立廟と建てた。

 蘭中古城は三方を水に面し、四方を山に囲まれ、町はその中心にある。昔から“巴蜀(四川)要衝”とされ“苑仙境”との美称があり、四川西の革命地区であり全国歴史文化名城でもある。雲南の麗江、山西の平遥、安徽の歙県と並んで中国四大古城といわれ、中国全土で保存状態が良い古城の一つである。
1.29km2の古城地区は、唐、宋、元、明、清各王朝の建設と発展を経て、大通りや路地、住居や屋敷、官邸や役所、寺院などの整った建築形体が出来上がった。明代には、中城には既に39本の街道が通っており、清代には49本にまで増えた。住居の多くは北京式の四合院と江南の園林式建築が組み合わさって成り、併せて巴蜀地方の文化が融合している。形式が異なる住居邸宅があり、多字院、四合院、院の中庭など様々な建築構造を演出している。
蘭中古城の建築構造は天文風水学の点から照らして言えば、理論的に計画建造され、これは中国風水学と建築との完美な体現をしており、嘉陵江、錦屏山、東山園林との景色と溶け合い、山、水、城の自然の美を表現している。

 恒侯祠は、俗に張飛廟と呼ばれ、明代には雄威廟と呼ばれていた。古城西街の北側に位置し、張飛の陵墓と祭祀もあり、もとの祠は戦火により破壊されてしまい、何度か建て直しを繰り返した。墓の周りの壁には四方155m程ある。その後幾度となく修繕され、現在の恒侯祠は、明清時代に増築された四合院式の建物群で、敷地面積は0.6ヘクタールほどで、門、故万楼、牌坊、大殿、后敷、房、墓亭、墓があり、建物面積は2200m2ある。恒侯祠は四川東部の三国文化を観光する上で大きなポイントとなっている。国家級文物保護単位に指定されている。

川北道貢院は考棚とも呼ばれ、省の文物保護部門に指定され、中市区学道街中部に位置する。清の順治9年(1652年)、四川はまだ平定されておらず、臨時に省会が設けられ地安が守られ、後の10年ここに四川省の試験場が設けられ、それは康熙年間に成都に移るまで続いた。貢院は四合庭院式の建築で、試験会場、受験生のための宿、試験官が生活したり仕事をする事務所などがある。各部屋の両方に廊下が通っており、廊下には背もたれの長い椅子があり、受験生、試験官が休息するために置かれている。

 巴々寺はイスラム寺院でイスラム教の教祖・モハメットの教徒であるムスリムの聖地である。
またの名を「久照亭」といい、アラビア語で「祖先」という意味がある。
 清の康熙時代にサウジアラビアからのイスラム教徒が中で布教活動をし、亡くなりこの地に寺を建ててこんにちで既に300年以上の歴史がある。
 巴々寺には山門、照壁(門の外側に設けられた目隠し用の塀)、牌坊(アーチ状の建物)、本堂、離れ、園林などがあり、中国国内ではあまり見られないイスラム様式の建物群が建っている。
 巴々寺の清らかで雅らか、小さく精巧で、丁寧な仕上がりの建物群は、多くの観光客を引き寄せている。

 滕王閣は中市北3,500mにある玉台山の中腹にある。662年、滕王李元嬰が隆州(現・中市)で長官時代に自ら滕王閣を監督し建築され、「宴飲歌舞、狎昵厮養、田游玩“(食べ飲み踊り、無礼講で互いに励し合い、狩猟をして遊ぶ)”所として作られた。


滕王閣は唐代風格の歇山式の屋根が重なる古典建築で、その広さは大きく、美しく雄大である。 唐代詩聖と謳れた杜甫は二度中を訪れており、よく滕王閣を訪れ酒を飲み交し、《滕王亭子》、《玉台山》等名編の中でも名句を残している。


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